上京サラリーマンTOKYOサバイバル日記

社会人から東京→静岡へ転勤 日常生活の記録です

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物語と人生

 人生には「物語」が必要である。物語というのは突き詰めれば虚構の世界だが、物語は人生に彩りを与える。ここでいう物語とは「ゲームソフト」に似ているかもしれない。現代に生きる私たちには物語を自らの手で選ぶ権利が与えられている。人々が選ぶ物語はそれこそ千差万別で、宗教、恋愛、仕事、スポーツ、音楽、アイドル、子育て、学問、さらに細分化すればきりがないだろう。ゲームソフトにも様々なジャンルが存在しているように、人生の物語も人の数だけ存在している。
 人はそれぞれ自分にあった物語を選んで楽しんだり、笑ったり、悲しんだり、怒ったりする。そうやって物語を消費しながら毎日を過ごし、歳を重ね、年老いてはやがて死に至る。例外はない。金持ちも貧乏人もみな同じである。物語やベクトルを持たないのは悟りに至った上座部仏教の僧侶くらいだろう。物語のない人の人生は無味乾燥でつまらないものになる。自らの物語を持たなかったり、物語の受容を拒否している人間というのは、心の大きな隙間が埋められず精神的に不安定になることがままある。学生時代の私がそうだ。私はここ数年夢中になれるものを持っていなかったが、最近は色々なものを主体的に楽しめるようになってきた。特にサッカーを見たり、ラジオを聴いたり、絵を描くと気持ちが高ぶる。仕事もそれなりに楽しい。
 もう一度繰り返すがここでいう物語とは、突き詰めれば虚構だ。極端な話、なくても死ぬことはないし、冷静になって眺めてみると大したことのないものだ。しかし、全ての人間には物語が必要である。それがたとえ虚構であるとしても、多くの人はそれなしでは生きられないだろう。人の一生とは虚構に振り回されるのと同義である。肩肘張らずやって行こう。それしかできないし、みんなそうなのだから。